FXで爆損した日

FXで爆損した。
そもそもの切欠は他人の紹介キャンペーン。「FXは博打」という認識を持っていた僕は、FXに手を出すつもりはなかったのだが、提案が来たのでキャンペーンだけ取得して終えようと思った。しかし、操作ミスから損が出た。損を取り戻そうとして損が膨れた。躍起になって取り組んで、じきに慣れるとプラスに転じ、トントン拍子で伸びて、昨日の昼には確定+80万の利益になっていた。それが一晩明けた今は確定-80万に変わった。(ちなみに僕は学生で、就職も決まっておらず、奨学金を借りている。)

巷に溢れる失敗談の例に漏れず、僕も後悔にまみれて布団にくるまった。
自分の駄目さ加減を改めて見せつけられた思いで、大げさなと笑われてもしかたがないが、首をくくることまで考えた。
僕は布団にくるまりながら、今回の失敗を巡るいろいろなことについて考えていた。

博徒

最初のうちに頭に浮かんだのは、自分は不労所得を喜ぶような志の低い人間だ、しかも、博打の負けを博打で取り返そうとするような種類の人間だったのだ、ということだった。闇金ウシジマくんに出てくるような人種と根っこの所では同じなんだと。研究室でも失敗ばかり、就職もうまくいっておらず、女性との付き合いもない。そこに加えてこんなことまで明らかになってくると、僕は誰も彼もにとって不要であるかのように思われた。このさき生きていても辛いだけではないかと思われた。首を吊った方がいいんじゃないか、と具体的な想像と共に考えた。だけど、どう考えても死ぬのは怖かった。僕は昔、死への恐怖で眠れない夜を何度も経験している。死ねるはずがないと思った。しかし、こんなに具体的に死を志すのは初めてであることを考えると、僕はどうやら相当参っているらしかった。

虚栄心

次に頭に浮かんだことは、虚栄心のことだった。僕は、FXでこんなに儲けた!と明かして羨ましがられたいと、心のどこかで思っていた。その一方で、こんな博打のようなことに時間を費やしていること自体は軽蔑されても当然だとも思っていた。自分でも駄目な事に時間を使っているという自覚はあったから、儲けていても、結局のところ他人には話さなかった。それはまた、自慢しておいてマイナスに転じたら格好悪いという打算と、もっと儲かってから明かしてみたいという欲望からもきていた。

高い勉強代

原因探しが続くとともに、僕は、これを勉強代と考えた場合に将来得られるものについて考えていた。辞め処を考えずだらだらやっていた以上、負けることなく勝ち続けるという能力がない限り、こうなることは自明であって、ある意味、当初の「やってみてどうなるのか試してみたい」という考え通りの終着点に来たわけだ。完全に身から出た錆であって、自分を知るための勉強代と考えることはできそうに思われた。親や家族を失望させるのは辛いが、自分にとっては自分の駄目さ加減を受け止めるためのどうしようもない出費だ。例によって高い勉強代と考えて、時間の使い方を見直して、心を入れ替えて研磨に励めば、後々返ってくるものが勉強代より大きくなることは間違いなさそうだ。しかし、過去にも大きな失敗をして、反省をして、また堕落した生活をしている現状を見ると、やはり喉元過ぎれば熱さを忘れることになりそうで、いかにも不安であった。

僕の価値と虚栄心

また、自分が無価値と考えるのはこういうときにありがちな極論であることにも思いを馳せた。確かに僕もある面では努力していて、最近のことでいうと、TOEIC情報処理技術者試験に関することは、大声で自慢して回れるものではないにせよ、一応の価値がある事柄だった。また、虚栄心はいい方向への原動力でもあることにも思い至った。そもそも僕の原動力の中では、虚栄心はかなり強い部類に入る方だった。人の目があればこそ、いろんな努力をしてきたと思う。今回の件もそうだが、自分の醜い所を隠して成果だけを見せ、自分を大きく見せようという心づもりが確かにある。

恥曝し

ここまできて、僕の問題点はこれだと思った。要するに、まずい所は隠して、良い所だけ見せているから、いくら堕落しても平気なのだ。自分で自分を制御できないことは嫌というほど分かっている。しかし、自分の行動を全て明らかにしていたら、どうだろうか。自分の行動を明らかにするとき、他人を納得させるだけの説明ができなければ、それは自分の虚栄心を傷つけざるを得ない。もし、したことを包み隠さず説明することにしたら、それは他制による自制を可能にし、油断のない毎日が送れるのではないか。自分に恥を課すことで、地に足のついた生活を遅れるようになるのではないか。

そう考えた僕は、布団を抜け出して、ここまでの考えを日記に起こし、ここに日々の記録をつけることにした。
この日記自体が、恥を晒して僕の評価を下げる日記の第一頁だ。
毎日を油断無く生きてゆけますように。